ベルトルッチ監督『暗殺の森』再見

 70年代の学生時代の初見以来、というわけではないと思うが、久しぶりの観賞。これはやはり我が映画鑑賞史上、いまだ「ベストワン」とすべき映画だ。

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 ベルトルッチ独特のスタイリッシュな美学もさることながら、原題の「コンフォルミスタ」に仄めかされているように、政治に惑わされる知識人像を描いた作品としても秀逸だ。反ファシズムの映画というよりは、むしろ体制に順応し、積極的にそれに荷担しては、体制が変わるとまた別の体制に順応しようとする思想の危うさ、そのありようを、一人の優柔不断で神経質なファシスト青年を通して浮き彫りにした映画なのだ。

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 あらためてドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリが醸し出すレズビアン的なエロティシズムにも目を奪われる。

 それ以上に、今回興味深かったのは、劇中の「歌」のバラエティだ。冒頭近くのラジオ局で、マルチェロが盲目のファシスト・イタロと対話するシーン。録音室では女性トリオの軽快なイタリア歌謡が流れる。パリで出会った貧しい花売りの親子は、誇らしげにインターナショナルを歌いながら、マルチェロを追い詰める。さらにはお目付役のマニャニエーロが口ずさむ黒シャツ隊の歌(?)などもある。

 映画終盤、ムッソリーニ政権崩壊後の路上にあふれる群衆にマルチェロとイタロは巻き込まれるが、そこで群衆が歌うのはイタリア国歌ではないか。まさに歌は世につれ、なのだ。

 ヴィットリオ・ストラーロの映像美にもあらためて心が震えざるをえない。例えば、マルチェロが召喚されて命令を受けるファシスト党本部の荘厳だが空虚なホール。これが平面と直線構成の“静”の美学だとすれば、ダンスホールで、人々がつながりながら乱舞するシーンは、俯瞰するカメラによって、渦巻き状に変化する“動”の美学として表現される。

 新婚旅行の車窓に映る風景、あるいはエッフェル塔を背景に陰翳豊かに描かれるパリという都市の相貌、サヴォアの霧深い森から突如現れる暗殺者たち……めくるめく映像美には観客はただひたすら酔うしかない。あらためてそのカメラマンのフィルモグラフィーを見ると、ベルトルッチ監督作以外にも『地獄の黙示録』『レッズ』『アガサ 愛の失踪事件』『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』などが挙がる。いずれも映像の美しさで印象に残るものばかり。

 この映画で唯一、わかりにくいのは、ドミニク・サンダ(アンナ)の娼婦性だろうか。マルチェロのフラッシュバックにときおり現れる娼婦としてのアンナは、クアドリ教授夫人としてのアンナでもあるのか、あるいは似ている娼婦がいたというだけの話なのか、さらにはたんなるマルチェロの夢なのか。

『暗殺の森』のことをもっと知りたくなって、この作品も含めてベルトルッチ作品の字幕を数多く手がけている吉岡芳子の『決定版! Viva イタリア映画120選』(清流出版)なる本を買ってしまった。