曾野綾子の「甘えた」人種隔離政策

(10カ月ぶりの投稿。以下は、Twitterに2015/2/14に投げたものだが、再録しておく)

 曾野綾子氏の産経新聞コラムを読んで、外国人労働力移入問題の基本を考えた。

 曾野が得意げに奨励するまでもなく、移民労働者は文化的つながりを求めて、一定の居住環境に集住しがちだ。在日朝鮮人や日系ブラジル人の事例をみてもそれがいえる。かつての北米における日系移民もそうだった。さらに移民には、移民先での差別や偏見など、内輪で固まって集住せざるをえない事情もある。

 たんなる文化的な棲み分けならさして問題はないが、現実的には棲み分けは経済格差の反映であり、その結果が差別の再生産につながることもまれではない。

 自主的であれ、強制的であれ、居住地が隔たっていることが、かえって文化摩擦を増幅することも多い。古来、人はよそ者を疎外しがちだからだ。その反対に、交流や混住を促し、共生の努力を続けることが、結果的に摩擦の低減につながる。もちろん、時間と手間はかかるけれども。

 外国人労働力移入は「先進国」に共通の課題だからこそ、曾野発言に海外メディアも鋭く反応した。ただ、人種別の居住制限など、民主主義国家ならとうてい容認できない、古臭く、かつ無効な対策を開陳するから、嘲笑されるのだ。ただの無知なら哀れなだけだが、コラムのトーンには底深い外国人蔑視と自民族至上主義が見え隠れするから、やっかいだ。

 日本でも外国人労働力移入が喫緊の課題になる今、受入国側としても労働法の整備や子弟の教育支援など、それ相応の負担を覚悟しなければならない。北欧など好適な参考例はいくらでもある。曾野のコラムはそうした負担を避け、果実だけを得ようとする、なんとも虫のいい「甘えた」議論にみえるが、これは曾野個人の問題というより、現政権の移民政策の根幹に通じるものであろう。