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テスト

 いったん閉じたブログだが、ドメインが生きているかのテストも兼ねて、久しぶりに更新してみる。しかし、Sandvoxの使い方、すっかり忘れてしまったな。

ブログ引っ越しました

Sandvoxも面倒なので、心機一転、FC2ブログで2015年版をリスタートしました。

この2013年以降版もしばらくは残しておきます。

よろしく。

曾野綾子の「甘えた」人種隔離政策

(10カ月ぶりの投稿。以下は、Twitterに2015/2/14に投げたものだが、再録しておく)

 曾野綾子氏の産経新聞コラムを読んで、外国人労働力移入問題の基本を考えた。

 曾野が得意げに奨励するまでもなく、移民労働者は文化的つながりを求めて、一定の居住環境に集住しがちだ。在日朝鮮人や日系ブラジル人の事例をみてもそれがいえる。かつての北米における日系移民もそうだった。さらに移民には、移民先での差別や偏見など、内輪で固まって集住せざるをえない事情もある。

 たんなる文化的な棲み分けならさして問題はないが、現実的には棲み分けは経済格差の反映であり、その結果が差別の再生産につながることもまれではない。

 自主的であれ、強制的であれ、居住地が隔たっていることが、かえって文化摩擦を増幅することも多い。古来、人はよそ者を疎外しがちだからだ。その反対に、交流や混住を促し、共生の努力を続けることが、結果的に摩擦の低減につながる。もちろん、時間と手間はかかるけれども。

 外国人労働力移入は「先進国」に共通の課題だからこそ、曾野発言に海外メディアも鋭く反応した。ただ、人種別の居住制限など、民主主義国家ならとうてい容認できない、古臭く、かつ無効な対策を開陳するから、嘲笑されるのだ。ただの無知なら哀れなだけだが、コラムのトーンには底深い外国人蔑視と自民族至上主義が見え隠れするから、やっかいだ。

 日本でも外国人労働力移入が喫緊の課題になる今、受入国側としても労働法の整備や子弟の教育支援など、それ相応の負担を覚悟しなければならない。北欧など好適な参考例はいくらでもある。曾野のコラムはそうした負担を避け、果実だけを得ようとする、なんとも虫のいい「甘えた」議論にみえるが、これは曾野個人の問題というより、現政権の移民政策の根幹に通じるものであろう。

13年前の捏造事件

 小保方晴子氏を筆頭執筆者とする、STAP細胞の発見に関するネイチャー掲載論文への捏造疑惑が持ち上がっている。STAP細胞の存在そのものさえ、怪しくなってきた。捏造か故意か、はたまた単純なミスなのか。

 STAP事件と同じというわけではないが、一つの「科学的発見」の真偽をめぐって学界が翻弄された「事件」という意味で、私がよく覚えているものに、2000年11月に毎日新聞のスクープによって発覚した、いわゆる「旧石器捏造事件」がある。

 最近、自分が書いた古いものをMacからサルベージする機会があって、そこにこの捏造事件に関して、2000年11月に某MLに投稿した文章があったので、掲載しておく。



 旧石器捏造問題――「考古学が危ない」と題して、学者の側、マスコミの側からの反省の弁が朝日新聞の記事になっているのを読みました。先史考古学者の竹岡俊樹氏は2年前から学術誌で藤村発掘に疑念を述べていたということですが、問題を見過ごしたのは、日本の学会の閉鎖性にも一因があると朝日のインタビューで語っています。

 これまでの日本の考古学会はあたかも「空中浮揚を信じたオウム真理教と同じ」状態にあったのだと。

 しかし、空中浮揚を安易に信じた点では、新聞社も同罪です。

 朝日の記者も当時「竹岡氏からの手紙を受け取りながら、その主張をきちんと受け止めることを怠った」と今頃になって反省しきりであります。ほんとうはこの記事は「考古学が危ない」ではなく、「ついでに新聞も危ない」と題するべきでした。

 僕は考古学にはほとんど興味がないんですが、石器発掘のニュースが社会面どころか、新聞の一面を、それもカラー写真付きで飾るのを、何を大げさなと思ったことはよくあります。出雲神社のどこぞから太い柱の跡が出てきたときも、早速、大林組だかがCGで当時の社殿の様子をイラスト化し、新聞は喜んでそれを載せたりしたわけですが、ちょいと待てよ、柱一本でなんでここまで復元できるんだよと半信半疑でありました。「夢とロマン」も結構ですが、どこまでが実証で、どこからが勝手な妄想なのか、その境界がはっきりしないのも困りものです。

 朝日新聞のデータベースで、今回捏造がバレた宮城県の上高森遺跡での旧石器発掘のころの記事を調べてみたんですが、ひどさを通り越して、笑ってしまいます。

 94/06/30の宮城地方版では、藤村氏は今回と同様に時の人でありました。

土を掘っている時は、周囲の音はまったく聞こえなくなる。「出ろ、出ろ。絶対に出してやる」と強く念じ続けるのが何よりも大切だという。「強く求めないと、石器は逃げていく」

 たしかに“超能力”ではあります。

 藤村氏って、電力量測定器メーカーの生産管理課長だったんですってね。

 いわばサンデー考古学研究マニア。趣味のままにしておけばよかったのにと、可哀想な気にもなります。マスコミによって祭り上げられ、もう引き返せなくなってしまったという側面もあるのではないでしょうか。

 上高森では、石器が放射状にきれいに並べられて“発見”されたわけですが、そのあまりの整然さを誰も疑うことをせず、東北旧石器文化研究所の「原人にはきれいに並べる美意識があり、豊かな精神世界を持っていたことをうかがわせている」という説明がまかり通ってしまいます。芹沢長介・東北大名誉教授ら権威による「世界的な発見だ」というコメントもそれを後押ししました。

 そうした認識を前提に、朝日新聞はその後こういう作文を創作します。

丘陵の、切り取られた大地に秋の日差しが濃かった。一九九五年十月三十日。
「東北旧石器文化研究所」の上高森第三次発掘調査の三日目だった。この日まで何の発見もなかった。研究所員で調査団長の藤村新一(四五)は焦っていた。
「全国からのカンパもある。このままではヤバい」。藤村は「ヤバい」が口ぐせだった。

「ん?」
藤村の手が止まった。

「どうも変だ。何かある」。藤村は調査指導に当たっていた東北福祉大助教授の梶原洋(四三)を呼んだ:藤村は竹ベラを差し込んだ。深さ四、五センチのところで竹ベラが土に入らなくなった。土をえぐった。その瞬間、青とも緑ともいいがたい鮮やかな色の石が目に飛び込んだ。十五個の石器の第一号だった。

藤村の髪から汗がしたたる。一つまたひとつと現れる石器。大きなもので直径八センチ。どれも手の中に入るほどだ。周囲には、学生たち約二十五人の人垣が出来ていた。梶原は写真を撮り、研究所のメンバー横山裕平(四〇)が8ミリビデオを回した。歓声が上がる。「まだ出るよ」「ほら、隣にも」……。
(96/01/01地方版 「上高森へ 原人ロマン 60万年越え15の「宝石」」) 

 まあ、今となっては、ですが、恥ずかしさに身がすくんじゃうような文章ではあります。ただ注意深く読んでみると、藤村氏が当時焦りに似た感情で発掘作業に従事していたことがうかがいしれます。彼に焦りをもたらしたのは、大発見ニュースを待ちかまえるマスコミであり、そして潜在的には我々読者であるかもしれません。

 朝日新聞仙台支局では「石器の幾何学的な配置から、高い知能を持った原人が想像できる」とし、その「上高森原人」のイラストまで記事につけたようです。

 まさに石器を埋めたのは、焦りと名誉欲に学問的真実まで曲げてしまったヤバい「現人」ではありましたが。

 発見のニュースをマスコミが大々的に書き立て、「夢とロマン」か「汗と涙」の小説に仕立てあげ、ほとんど実証性のないイラストまでつけて、読者の興味本位な好奇心を煽り立てる。低劣な学問とそれ以上に低劣なジャーナリズム、そしてそのもたれあいを批判することをしない我々読者。朝日新聞自体、過去に捏造の前歴がありますから、さもありなんと言ってしまえばそれまでですが、むろんこうした傾向は朝日新聞だけの特異な性癖ではありません。

 それにしても、現代日本の、疑うことを知らない脳天気な文化状況に、底深く絶望的にならざるをえない事件ではありました。(2000.11.18)

 最後の感想は、2014年の今も通用するものだと思った。

 ちなみにこの旧石器捏造事件を題材に、井上由美子が脚本を書いたドラマ『地の塩』が今春、WoWoWで放送された。大泉洋が熱演していた。 


サッカーが好きだ

 サッカーが好きだ。ただ、Jリーグの応援風景は嫌いだ。下手くそな音程の応援歌、制御されそれゆえ面白みのない応援スタイル、コントールされる感情。みな嫌だ。私が熱心にJリーグを観ないのもそうしたサポーターと呼ばれる人たちの問題があるからだ。

 それはともあれ、浦和レッズ・サポーターの一部による、民族差別的な「Japanese Only」横断幕事件。以前、ツイッターで「いま新大久保や鶴橋で暴れる民族排外主義者が日本のスタジアムで在日や韓国・朝鮮籍選手にヤジを飛ばしたら、日本のサッカー界はどう対応するのだろうか」と呟いた(2013/03/21)ことがあるが、それが杞憂ではなくなった。


 読売新聞が報じるところによると、「浦和によると、この人物は「差別的な意図はなかった」などと釈明しているという」のだが、「差別ではなく、抗議である」とかいうのは、民族差別主義者の常套句。それ自体、差別的意図の表明である。騙されてはいけない。

 私の趣味の領域に、私が最も嫌う差別主義者が土足で侵入してきた。これは徹底的に排撃しなければならない。なぜなら彼らは「サッカーの敵」(サイモン・クーパー)だからである。

 横断幕を掲げたのが、いかに札付きの排外主義者だとはいえ、いやだからこそ、サッカーに人種・民族差別を持ち込もうという意図は明かなのだから、差別はその場で対処しなければならない。浦和レッズ球団とJリーグは首謀者を処罰し、永久入場禁止ぐらいの措置を執らなければならない。それがサッカー界のできる唯一のこと、サッカー界でしかできない唯一のことである。

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差別的落書き

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「差別的な落書き50カ所 東京・大久保、有志が消す活動」 - 朝日新聞デジタル 

 韓国料理店や韓流スター関連商品の店が集まり、「コリアンタウン」として知られる東京・大久保とその周辺の計約50カ所で、在日韓国・朝鮮人らを蔑視する落書きが見つかったことが、市民グループの調査でわかった。2日、ボランティア約50人が落書きを消す清掃活動をした。

 このニュースに予想通りというか、どこかにひな形があるのではないかと思われるぐらいの、お決まりの中傷コメントがいくつか。今回は記事そのものというよりも、この種の記事が必ず派生させる、コメントの心的構造のほうを考えてみたい。

 差別落書きは「“反日外国人“の自作自演説」というのが最もよく目にするテンプレートだが、もう一方で「韓国もヘイトしているのに、なぜそっちのほうを書かないのか」というように、記事の内容そのものではなく、朝日新聞の報道姿勢に問題をすり替えるロジックも、よく使われる。

 例えば、

韓国じゃ大統領から庶民までヘイトスピーチしているけど、まだ足りずにアメリカやヨーロッパまで行ってプロパガンダやってますよね。朝日は批判しないんですか。 反日プロパガンダの旗振り役の朝日じゃ日本人非難しかしないから無理でしょうね

 差別落書きとこの話がどうつながるかわからないのだが、植民地支配への反省のなさぶりと歴史修正主義の台頭に対する、世界各国からの懸念を一括して「プロパガンダ」と呼ぶのは、近年のマスメディアでは産経新聞に特有の用字用語であることをまず指摘しておきたい(特定の新聞ばかり読んでいることが、その言葉づかいからわかる一例)。

 「朝日は批判しない」というが、「韓国のプロパガンダ」が例えばグレンデール慰安婦像建立のことを意味するのなら、朝日新聞はそれを無視しているわけではない(米の慰安婦像撤去訴訟、割れる賛否」2014/02/27など)。むろん、論調は産経とはかなり異なるけれども、慰安婦像撤去に反対している市民のなかには、日系人も含まれることを紹介するなど、エスニックの観点からは全体に公平な記事だったと思う。

 そもそも公器としての新聞の役目は、自国に対して海外からさまざまな評価(懸念や批判も含む)がある場合、その事実を伝え、その背景を吟味することが重要なのであって、批判があるから必ず脊椎反応のように反批判のプロパガンダに勤しまなければならない、というのは、新聞の役目を見誤る暴論だ。

 これは近代におけるマスメディアの役割とも密接にかかわる話である。

 古い話で恐縮だが、明治27年の日清戦争祝勝祈願のパレードでは「都新聞」(現在の東京新聞の前身)や「自由新聞」(板垣退助の自由党機関紙)など有力紙が、率先して清兵の切り首を擬した提灯山車などを繰り出して、沿道から喝采を浴びたそうだ(木下直之『戦争という見世物』P.79-81 ミネルヴァ書房)。近代における初の本格的な対外戦争に浮かれ、国民の戦勝気分を煽り、切り首模型を晒すなどというアジア諸国民に対する蔑視感情を人々に植え付けたのは、他ならぬマスコミの所業であったかもしれない。

 ちなみに同じ時期、勝海舟のように冷静に情勢を観察していた人もいた。

ともあれ、日本人もあまり戦争に勝ったなどと威張って居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝っても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人にはおよばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。

『氷川清話』講談社学術文庫:前掲・木下氏の著書より再引用。

 まさに百年後を見通していたような卓見である。

 ともあれ、そうしたすぐカッとなる気質をもつ日本のマスメディアが、太平洋戦争時にはみんなこぞって、どのような「報道」を行ったかは、新聞や放送の歴史を多少とも知る人なら周知のことである(NHKテレビ小説「ごちそうさん」を見ていたってわかる)。新聞の大本営機関紙化=翼賛化は、日本を破滅させた要因の一つではなかったか。

 戦後のジャーナリズムは、基本的にはそうした反省の上に成立している。暴走する権力批判は、ジャーナリズムの基本使命である。内外のナショナリズムをどう報じるかは、それこそ各新聞社の立場があってもよいと思うけれど、少なくとも対外的な緊張が高まる時期であればこそ、その緊張をいたずらに煽るのではなく、合理的・平和的な解決を促すように、取材の方向性や記事の精査に努めなければならないのだ。

 むろんそのような当為命題と、それがどのように実践されているかは、別の話であるし、朝日新聞だけがジャーナリズムの鉄則を貫いているという評価も、私はしないけれども。

 いずれにしても、「朝日=反日」という彼らの常用基本テンプレートに当てはめると、上記コメントもこのようにしかならざるをえないのだろうなと、コメント主の心情を思って、私は気の毒に思う。

 次ぎに自作自演説について考えてみよう。

「差別落書きは日本の評価を貶めるために、反日思想の持ち主が書いたもの」という自作自演説は、「アンネの日記」損壊事件でもワンパターンのように登場した(やはりどこかにテンプレートがあるのだ(笑))。おそらく「こういう落書きは日本人はしないもの」という単純な思い込みが背景にあるのだろう。

 その思い込みは端的にいってたんなる妄想でしかないのだが、唯一その「根拠」らしきものがあるとすれば、今回は「チ」というカタカナの書き順が日本で学校教育を受けた人間のそれではない、ということがあるらしい。これには笑った。写真を見る限り、小中高大学と日本で教育を受けた私もあのように「チ」を書くからだ(私、犯人じゃないよ)。

 このように何の根拠もない「自作自演」説が、ことあるごとに再生するメカニズムは、一般的には陰謀史観に淵源があると思われる。陰謀論と差別意識は、「ユダヤ議定書」の時代、スターリン粛清の時代、いやもっと古く中世の魔女裁判の時代から、密接不可分に一体化しており、それゆえ非科学的・反知性主義な思考の持ち主には、魅力的なものだった。

 それは現代日本でも脈々と息づいており、町場のヘイトスピーチに力を与えている。

 それにしてもこうした「落書き犯は反日の陰謀」説の人には、現に「チョンは日本から出て行け」という落書きと全く同じか、ときにはそれ以上の内容を声を大にして叫ぶデモが、この新大久保界隈で、日本人(自称かもしれないけれど)の一部によって昼間堂々と行われていることは、どのように映っているのだろう。落書きもヘイトデモも、それが音声化・行動化されているかの違いだけで、本質的に同じものではないか。

 もしかして「清く正しい日本人」は、外国の横暴に対する「抗議デモ」はするが、落書きなどしないとでも強弁するのだろうか。まさかね。

 むろんこうした落書きは世界中の暗い路地裏やガード下やトイレの壁に無数に存在する。インターネットもある種のトイレの落書き的な側面はあるから、下に図示するようにその手の文言・画像であふれかえっている。

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ネットで拾った画像。添えられた文章は「チョンとシナは日本から強制排除せよ!」と絵柄に似合わず勇ましい。

 あまりみっともいいものではないが、このようにしてしか自らの主張を表明できない人々の、抵抗的表現と言えなくもない。戦時中にさえ、「鬼畜米英」の公式スローガンのビラの端には、それを揶揄する厭戦的な落書きが書かれていたりした。

 しかし、新大久保の落書きは、けっして市民の抵抗とは言えないだろう。むしろ同じ日本の市民社会を構成する、在日外国人の生存権そのものへの恫喝であり攻撃である。「在日特権」なる根拠のない概念でカモフラージュした、明白かつ感情的な民族排外意識の表出である。

 自分とは異なるものを差別しなければ、自分のアイデンティティを保てず、生きた心地がしないような人々は、人種・民族・歴史の違いを超えて必ず存在する。だから日本人の専売特許ではないのだが、同時に異民族を差別したいという暗い情動から、日本人だけ免れているということもありえない。アイヌ、沖縄、朝鮮、部落に対する差別は近代以降、もっとも日本人が得意とするものではなかったか。 

 差別を根絶することは、事ほどさように簡単なことではない。しかしこうした差別を助長するのは、その時代の政治情勢でもあることも事実である。

 日本には民族差別落書きは無数にあり、在日コリアンが長年にわたって生活の場としている現場にも無遠慮にそれは浸透しつつあるのだが、それを排除するためせっせと消して回る人々もいるという報道は、少なくとも私にとっては大きな救いでもあった。

山本太郎バッシングの意味

 山本太郎議員が園遊会で天皇に「直訴」した件。山本バッシングの様相を呈している。

「天皇様に手紙なんて畏れ多い」「一種の手紙テロ」「世が世なら不敬罪」などと批判するのは、保守の人たち。しかし「不敬罪」ですか。この発想自体が奴隷の思想であることに、それを言う本人は気づかない──という、ある意味で明治期以来の天皇制のアポリアがここには再び見られる。

 それほどイデオロギッシュじゃない、フツーの天皇ファンも顔をしかめる。「天皇は被災地訪問などよくされているのに、そのうえ何を望むのか」などと。

 単純に「山本太郎を嫌いだから」、この際叩いておくという論調もネットには多い。そのうち何割かは山本の「脱原発」行動を快く思わない、重度な原発依存症の人たちだが、そうではなくても、芸能人としてのかつての山本の悪ノリぶりを知る人は、「あのバカが、何を偉そうに」という軽蔑の視線を隠さない。

 自分よりもバカなヤツがテレビでオチャラケをしている間は安心しているが、そいつが偉いセンセイになったとたんに、嫉妬の感情を込めてそれを叩くというメカニズムは、大衆心理現象としてはよく見られるところである。山本以外にも多くの芸能人出身政治家がその餌食となってきた。

 私個人でいえば、山本がテレビで裸踊りをしていたころはテレビを観ていなかったのでよく知らない。ただ、映画俳優としての山本太郎の演技は高く評価するものである。政治家になるのもいいが、もっと映画に出てほしいと強く願う。

 2ちゃんねるに「山本太郎の手紙全文公開」という投稿が、東スポ報道のソースを示しながら掲載されると、山本議員の「新党今はひとり」のオフィシャルサイトがそれは「デマだ」と否定するなど、様相はさらに混乱している。東スポのネット版には手紙の一部をiPadに映した山本本人の映像が掲載されているのだが、これは否定しないのだろうか。

 それはともあれ、ふだんリベラルな発言をする人たちも、「象徴天皇制をふみにじる危険な行為」「憲法違反のパフォーマンス」などと今回は批判に回る。原発への反対姿勢を明確にしている識者──例えば、池田香代子──のなかにもこうした態度がみられる。小田嶋隆などは「全文公開」された文書を真実だと思い込んで、しつこく「失礼千万」だと言い張るが、これは一種のマナー論の域を出ていない。

 こうした山本バッシングへの反批判としては、小松裕、坂原辰男、山口二郎、原武史らの識者が朝日新聞にコメントを寄せている。反批判というよりバランスが大事だよという常識的な論調なのだが、これはこれで真っ当な意見だと私は思う。まさに「山本氏だけをたたくのは公平ではない」(山口二郎)のだ。

 法理論をベースにこの問題を論理的に整理しているのが、澤藤統一郎の憲法日記さすが元・日本民主法律家協会事務局長。園遊会がもつ政治的性格を指摘しながら、山本の行為はマナー違反であるとしても、「マナー違反に違反者の権利や資格を剥奪する効果はない」と山本を擁護する。もちろん、共産党系の弁護士としては「天皇への語りかけのパフォーマンスは、民衆の立場を標榜する政治家としてなすべきことではない」と苦言を呈することも忘れていない。

 澤藤が言うように、そもそも天皇に手紙を渡すなどは、全然民衆に依拠した発想ではないし、左翼的でもなんでもない。むしろ天皇親政を求める古典的右翼の発想である。真の左翼であるなら、天皇制は打倒の対象であり、せいぜい無視するのが筋というものだ。山本に「反原発憂国バカ左翼」などとレッテルを貼った小田嶋隆は、日本の政治思想史の勉強が全然足りない。

 山本を反原発テロリストなどと揶揄するネトウヨたちも、同類だ(ま、ネトウヨは右翼じゃない説もあるからな)。思想明澄な古典的右翼はおそらく山本の行為を賞賛しこそすれ、批判はしないし、できないだろうと私は思う。

 私が思うに、今回の手紙手渡しは、まさに戦後民主主義の平和と幸福の象徴としてまったりと存在していた(かのように見える、というか、そのように民衆が思い込んでいた)象徴天皇制システムに、一瞬の裂け目が入った瞬間なのだ。

 園遊会では天皇に「お言葉」をかけられてから招待客が口を開くのがマナー。言葉は春秋の心地よい庭園の香りのなかで、空気のように彼と彼らの間に漂うものにすぎなかった。山本も「俳優をされていたんですね」とか声をかけられ、「はい、今は脱原発で頑張っております」などと殊勝に答えているだけなら、これほど問題にはならなかったはずだ。

 ところが、そこに禍禍しい手紙。そのリアルな手触りである。しかも巻紙に毛筆。もしかしたら希代の悪筆!。それにみ〜んな引いてしまった。見なければよかった。見たくなかった。考えるだけにおぞましい……。

 これって、何なのだろう。山本太郎はまさに空気が読めない男ではあるのだが、逆にそのKYぶりゆえに、擬制としての象徴天皇制のウソっぽさ、空気のように漂いながら、実はそのシステム自体が歴史的にも日本人の思想を制約し、その根幹を規定するものであることを、そしてそれ自体が「まがまがしいもの」であることを、一瞬だけ天下にさらしてしまったのである。

 まあ、それだけのことではある。山本の行為に眉をひそめたり、目くじらを立てる人は、その眉毛と眼球の運動の力学が、どのような政治を空気として吸い込んでいるかにあらためて思いをめぐらすべきだ。まさに「一木一草に天皇制がある」(竹内好)のだから。


いわきと富岡、ふたつの畑

 10/6にいわき市の小川町という地区にオーガニックコットン栽培の“援農”に行った。「援農」というと「三里塚」を思い出す世代である。

 有機綿花栽培事業については、これまでよくわからなかった。有機農法そのものをありがたがる習慣が私にはないし、そもそも衣料用綿の自給率0%の日本で綿を育てても、ビジネスになるはずがないという思いが強かった。そんなものやっても何の役に立つのかと。一種の自己満足にすぎないんじゃないか、と。 

 行ってみるとたしかに綿畑は家庭用菜園というほど規模が小さく、兼業農家が人手不足で放棄せざるをえない畑を借りる程度のもの。綿摘みといっても30人で15分もすれば終わってしまうほどの作業量。昨年収穫した有機綿で織ったTシャツが売られているといっても、いわき産の綿の混入率は数%でしかなく、一種のシンボル的な事業であることはそうなのだ。 

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ケイトウの花も咲くいわきの有機栽培綿花畑

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わずかだが、貴重な収穫

 ただ、この事業にかかわるNPOの人たちの話を聞いて、考え方が少し変わった。

 復興の遅れにいらだついわき市民、補償金で労働意欲を失い、それがゆえに妬みの的にもなっている原発立地地域からの避難民、そして東京からの支援者。この3者をつなぐには、なにか復興のためのシンボルが必要で、それは従来の農業やエネルギー体制とは別の、オルタネイティブな意思を持つものでなくてはならない、という思いが彼らにはある。 

 小規模ながらも太陽光などによる地域発電(コミュニティ発電)を始めているのも、その思いからだ。 

 コットン畑を案内してくれた「おてんとうSUNプロジェクト」の代表者(もともとは関西企業で太陽光発電パネル販売の営業していた人)は「代替案を提示しながらの、新しい市民運動だ」と位置づけていた。

 原発が悪い、地震・津波が悪い、風評被害が悪い、という“被害感”にとらわれたままでは、自分の足で立つことができない。福島を昔通りに再建するというより、新しい未来を感じさせる形で再構築したいということなのだろう。現状はほとんど採算性を度外視した、ものすごく遠大な事業構想だが、そこに関わることで、未来を感じたい。その意思は尊重されて然るべきものだと思う。

 「思いだけじゃ食っていけねえよ」と言う人は多いだろうが、逆に理想を押し殺して現実に拝跪してしまったがゆえに、双葉郡は原発に依存し、しかも中毒のように依存度が高かったゆえに、手痛いしっぺ返しを食らったのだ。 

 人間って何のために生きているんだろうか、というと、なんか青臭いけれど、いわきのコットン畑でモノを考える原点を突きつけられたような思いだった。サリンジャーじゃないけれど、畑ってのは人を物思いに耽らすものなのかもしれない。

 その後バスで、久ノ浜~広野~楢葉~富岡を6号線沿いに北上した。特に今年になって立ち入り制限が解除(ただ居住はできない)された富岡町(福島第二原発の敷地の一部がある町)は、やっぱりひどい状況だ。基本的に3.11で時間が止まったまま。「死の町」というのはけっして大げさな表現ではない。駅前の商店街など、解体して更地にするしかないのだが、それさえ手が回らない状況だ。  

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沿道に整然と(?)積まれた汚染土壌

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JR常磐線「富岡」駅。海に近すぎた駅だった

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ひしゃげた電柱もそのまま。復興に手が回らない


 富岡町は、震災前までは夜ノ森の桜などで観光集客に成功し、町民人口が増えていたところ。中高一貫のスポーツ教育というのも特色があったと聞いている。皮肉な話だが、無農薬の米づくりも進んでいた。 

 ただ、こうした町の財政が第二原発の交付金を抜きにして成り立っていたはずもない。 

 第二原発の廃炉が決定すれば、町は主要産業を失うことになる。むろん何十年とかかる長い廃炉プロセスの間はまだ作業員が行き来するだろうが、もともとの住民ははたしてここに戻ってくるのだろうか。かつて廃鉱の町から人が離れたように、廃炉の町は、他の生きる手立てを探さない限り、人が増えるということはありえない。 

 実際、離散した町民にアンケートを採ると「除染しても戻らない・戻れない」と考える人が43%、決めかねている人が40%もいる。 

 富岡町の自慢は「花と緑があふれる町」だった。たしかに今も緑は溢れている。ただそれは、かつて畑だったものを原型を止めないまでに覆って荒野に変えつつある、膨大な雑草の緑だ。そしてもう一つ車窓の風景に際立っていたのは、除染土壌を溜め込んだ黒いビニール袋。これが文字通り山をなすように、行き場もなく積み上げられている。放射能は目に見えないというけれど、雑草とビニールは見る人の目をまざまざと射ぬく、あからさまな原発事故の爪痕だ。 

 このショートトリップでは、富岡と小川の畑の対比をせざるをえなかった。片や原発事故のために荒果てたまま2年が過ぎた。片や、ようやく人の手が入り、復興のシンボルともいうべき作物が可憐な花を咲かせている。 

 この差は、もちろん原発からの距離の差であり、降下した放射性物質の量の差であり、警戒区域とか避難地区とか行政の区分けの差である。そしてその差を生み出した元凶はいまだに残っている。私たちはそれを、これから先もずっと、この狭い国土に何十と抱え続けなくてはならないのか。答えははっきりしている。

「0.3平方キロ」と痛いプレゼンテーション

 久しぶりのブログ更新だ。 

 福島第一原発由来の汚染水は「0.3平方キロに完全にコントロールされていて」「WHOの飲料水基準より安全」と、オリンピック誘致にからめて首相が国際的に公言してしまった。放射能の危険性を言挙げするのは、「非国民」みたいな雰囲気になりつつある。「オリンピックを邪魔する反日放射脳」(笑)などと呼ばれてね。

 しかし「安全」の根拠とされる、「0.3平方キロ」という表現は問題ではなかろうか。一種の詐欺、数字のマジック。百歩譲っても、広告宣伝によく使われる、強調用法といえる。

 まず「0.3平方キロ」は、地上部で膨大に増え続ける汚染水タンクの存在を勘定に入れていない。汚染水タンクは漏出源の一つ。ここから水が漏れて「港湾」に流れ込んでいるわけだから、汚染水のよって来る元を示さないで、海に拡散した放射能のことばかり言うのはフェアではないだろう。

 地上部のタンク敷地は2011年11月時点で、0.37平方キロに及ぶ。さらに、2013年4月には敷地南側の森林を伐採し、約0.1平方キロメートルの敷地拡大に着手した。この森林はかつては「野鳥の森」とされていたところ。日ごろ環境問題に眉をひそめるIOCの貴族たちは、それを知っているのだろうか。いずれにせよ、これらを併せると、地上部だけで0.47平方キロになる。

 仮に汚染水が港湾内に留まっているとしても、海と地上を併せて「0.77平方キロ」の範囲内で管理されていると言わなければ、事実と異なる。

 むろん汚染は「タンクの中の水」だけではないことは誰もが知っている。広域に拡散した放射性物質が地中に流れ込み、それが地下水を汚染している。コントロールというなら、空中から地中へ、さらに地上へと広域に循環しながら拡散する、放射性物質の汚染の状態を示さなければならないはずだ。

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 いっそのこと、汚染水が「完全にコントロールされている」状態を、このような写真を示しながら、説得すればよかったのだ。
「奥に見えるモコモコしたものは何ですか」
「毎日何十トンと増え続ける汚染水を溜めているタンクです。もう満杯なんですけど」
 ビジュアル・プレゼンテーションのイロハだ。この写真を見て、尻込みするIOC委員がいたかどうかはともかくとして。

 「平方キロ」という単位もクセモノだ。一見、小さな数字に思えるが、ふつうは「平方メートル」で表現すべきではなかろうか。実際、国内の新聞報道は原則「平方メートル」表記。これだと、0.77は「77万平方メートル」となって、印象がかなり違ってくる。「不利な数字は小さく見せる」というのは、ポリティシャンがよくつかう手だ。

 そもそも、海表面を平面的に切り取って。「この範囲で管理されている」と言うことにどれほどの意味があるのか。ここでは漏出・流入している汚染水を問題にしているのだ。海表面に浮いている油の話をしているのではないのだから、その量は縦×横×深さの質量として立体的に把握しなければならない。「平米」ではなく「立米」、あるいは「重量」として説明しなければ意味がない。「汚染水300トン」というような表記が望ましいし、それが科学の基本だろう。

 「WHOの飲料水基準より安全」という表現も誤解を生みかねない(というより、誤解を積極的に誘導している)。水道の水より安全ということを強調したかったのだろうが、ふつう海の水と水道の水を比べるだろうか。日本人は海の水を飲んでいるのか、と揶揄する海外メディアがないのが不思議だ。

 つぎに、これは海底汚泥に蓄積された放射能を検出した値ではない。海底の餌を食う底魚に蓄積された放射能についても不問だ。昨年も港湾内のアイナメからとんでもない放射能が検出されていたが、そんな話はなかったことにされてしまった。

 そもそも港湾内に完全に封じ込められているのなら、なぜ福島沿岸の漁業は禁止されたままなのか。そんなことをしつこく尋ねるIOC委員はいなかった。

 だいたい、IOCプレゼンでの会場からの質問ってのは、事前に調整済みのものばかりではないか。ジャーナリストが発言の矛盾点に斬り込むような記者会見とはわけが違う。IOCマフィアの内輪のしゃんしゃん手打ちを見せられて、これで「世界も納得した」などと考えるのは、よほどのお人好しか、バカだろう。

 港湾外に漏れた放射能は大海に希釈されて、薄まっているのはたしかだろう。実際、港湾外の魚は検出限界以下が多いから、検出体制をしっかりすれば、福島の漁業は再開できるかもしれない。ただ、汚染水処理が事実として「完全にコントロール」されない限り、「風評」被害は残る。

 現代の「風評被害」は、たんなる消費者の無知や誤解から来るのではない。他にも産地があって、代替が効く食品が存在するのであれば、ふつうの人はそちらを選ぶ。アンコウが好きな人なら、いかに常磐沖のそれが美味くて安全だと知っていても、他の産地から上物が入れば、そちらを選択することだろう。

 風評被害は、通常の解釈とは異なって、食物の選択肢が豊富にある社会、情報が行き届いている社会だからこそ、発生するのである。そのような風評被害をもたらしたのは、原発事故に他ならず、その責任はひとえに発生源にある。断じて、消費者にあるのではない。

 このようにIOC総会で、東京招致団は世界に誤ったメッセージを発信してしまった。

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 他にも数え上げればいろいろある。滝川クリステルも「お・も・て・な・し」まではよかったが、その後の「合掌」と「黙礼」ポーズはいただけない。合掌はふつう日本では社寺仏閣、あるいは飯を食う前後、ときには「5,000円貸して」とお願いするときに行う儀礼的習慣であって、そこに、おもてなし=接待の意味を込めることはありえない。お土産屋や旅館でこんなことをされたら、ふつうの日本人は面食らう。あれはきっと「おもてなし」ではなく「(東京招致を)い・た・だ・き・ま・す」の意味だったのだと、筆者は思うのだが……。

 猪瀬都知事を始めとするプレゼンターの過剰なジャスチャーも気になった。TEDじゃないんだからさ。あんなこと、日本国内で日本人が演壇でやってみい。異様なハイテンションに場が白けるのは必至。海外でも日本人はいつからこんなオーバー・ジェスチャーをするようになったのかと訝しがられている。

 世界の場だから、勢い込んで、ついはしゃいでしまった。それを今風の言葉では「痛い」と言うのだろう。

週末仙台・松島

 先週末は友人たちと仙台で花見。GWに実家に帰省できるかどうかわからないので、実家帰省を兼ねて正月以来の帰仙。とはいえ私はこの街育ちではないので、実は仙台のことをよく知らない。買い物は駅周辺に限られ、市内で吞むこともめったにない。たまに来る観光客程度ほどの知識もないのだ。

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 今回は仙台市居住の友人や日本全国あらゆる街に詳しい友人が一緒だったので、仙台駅で待ち合わせ、連れられるままに市内の繁華街を散歩。一番町あたりでつまみを買い、桜ヶ岡公園(西公園)、桜岡大神宮前の緑地でダンボールを敷いて午後浅いうちから吞みだす。あいにく週末の東日本は天気が荒れ模様。桜の満開を数日すぎたというのに寒い一日、陣取ったあたりは古い桜は少なく、まだ新しそうなものばかり。それでもまあ、花より団子なのでよしとする。大学のキャンパスが近いせいか、花見会場には若い人たちが溢れている。

 夕方5時に国分町通りから一つ東側の稲荷小路にある「おでん三吉」へ。野茂や吉井など日本人メジャーリーガーや地元の名門、東北高校関連の野球の記念品が店頭に陳列されている。主人がよほどの野球好きなのだろう。寒い日のおでんは腹に染みる。これが東北のおでんの味というのかどうかわからないが、うまいおでんではあった。

 最近、旅の一人吞みが気に入っているというY氏のレコメンドにより、炉端焼き発祥の店といわれる「炉ばた」を二軒目の店として絞る。しかし、土曜日はむしろ観光客で混み合うようで、すでに先客満杯で入れず。ぜひ今度、一人で来てみよう。

 そこで同じくY氏おすすめの店「居酒屋おのちゃん」へ。雑居ビルのなかに和風隠れ家的な空間が広がり驚く。季節は少し早いが海鞘などもいただき、これも満足。ただ、けっこう酔っ払ってしまったので、あらためて教えてもらわないとたぶん再訪できないかも。

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瑞巌寺四月の雪

 翌日曜日は仙石線松島海岸駅に9時集合。早朝からなんとみぞれまじりの雪。名残雪の松島もよかろうと、定番の湾内遊覧をしながらカモメの生態観察。その前に瑞巌寺訪問。松島は何度も来ているが、実は瑞巌寺の内部を見学するのは初めてだったりする。本堂は解体修理中だが、それがゆえにふだんは見られない伊達政宗や家臣の位牌などを拝観することができた。本堂の「上段の間・上々段の間」が宝物館内に再現されており、オリジナルの障壁画(国指定重要文化財)が展示されている。これも期間限定だという。

  午後早い新幹線で帰京。上野で軽く一杯やって帰宅。

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