年末の帰省のついでに、塩釜、石巻、松島まで足を伸ばした。松島は観光船やお土産店も復活しており、往時ほどではないにしても、観光客が戻って来ていた。松島湾に浮かぶ260もの島が津波の衝撃を和らげたと聞いている。
石巻にはふつうは多賀城から仙石線で出かけるのだが、仙石線は途中で寸断されたまま。仕方がないので、東北本線の国府多賀城から小牛田、さらに石巻線に乗り換えて石巻という迂回コースをたどった。
石巻の被害は甚大だ。
fig.1は、かつて石巻の水産加工業のシンボルタワーだった、「木の屋石巻水産」という会社の重油タンクの有様。巨大な鯨大和煮の缶詰を模している。20トン以上の重油が入っていたにもかかわらず、元あった場所から300m流され、県道にはみ出て交通の障害物になっていたのを、なんとかグリーンベルトまで運んだそうだ。今ではある意味、津波の猛威を物語る象徴となっている。このタンクの右側(海側)はかつてはたくさんの建物が建っていたのに、今は見る影もない。(参考記事)
fig.2は、同じく石巻市の門脇小学校。3.11当日は避難してきた車が津波に打ち寄せられて発火し、校舎は火の海に包まれた。大晦日のNHK紅白で長渕剛が歌っていたのはこの校庭だ。(参考:石巻の震災被害)
街起こしのシンボルとして有名だった、「石ノ森章太郎萬画館」も復旧のメドが立っていないとか。
案内してくれたタクシーの運転手は「石巻の復興には10年、いやそれ以上かかるだろう」と話す。「ボランティアと自衛隊には感謝しきれないほど感謝しているが、バッチをつけた議員族はは何もしてくれなかった」とも。
↑fig.1 巨大な缶詰型タンクが転がる。石巻市
↑fig.2 石巻市立門脇小学校
←fig.3 高台の公園から見下ろす石巻市内。旧北上川の中洲に白く丸い「石ノ森章太郎萬画館」が見える