タイトル作品が今晩、WoWoWで放映される。この映画のことはずいぶん前の日記に書いたような記憶もあるのだが、探し出せないので、再び書く。

 もともとは、1971年に『純愛日記』という甘ゆる〜いタイトルで日本公開された、スウェーデン製の青春恋愛映画だ。私は田舎の映画館で、ビージーズの音楽でよく知られる『小さな恋のメロディ』との併映で見た記憶があるのだが、高校時代の友人に聞くと誰も覚えていないという。

A Swedish Love Story

■邦題『純愛日記』 
 原題:En Kärlekshistoria
 English Title:A Swedish Love Story
 監督:ロイ・アンデルション Roy Andersson
 上映時間:114 分
 製作国:スウェーデン
 受賞歴:第20回ベルリン国際映画祭 批評家特別賞ほか計4賞
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 今回のWoWoW放映情報は、こちら
 Youtubeの投稿映像でもその雰囲気は伝わるかもしれない。

 ロイ・アンデルション監督(アンダーセンよりはたぶんこっちのほうが現地読みに近い)は佳作の人。コマーシャルフィルムが本業のようで、彼のCF作品は、You Tube にも何本かアップされている。監督の公式サイト(なのかファンサイトなのか、スウェーデン語なのでよくわからん)もあるが、そっけない。
 台詞の少ない淡々とした映像。当時はティーンエイジャーの大胆なセックスシーンが話題になったが、日本ではかなりカットされたのか、いま思えばどうってことないものであった。夏休みの避暑地に彼女が彼を訪ねるシーン。ミニスカートのベルトあたりにさりげなくサングラスをかけた格好が、たまらなくカッコよかったのを覚えている。
 そうなのだ。我が高校時代に特に印象に残った作品なのだ。この映画は。

 2006年ごろふと思い立って、この映画の情報を集めていたときに、そのエッセンスがYoutubeに投稿されているのを発見したのだが、35年前の古い映画が、そのころYou Tubeに載せられたのは、どうやら 2003年あたりから欧州でリバイバル公開されているというのが理由のようだった。日本でもロイ・アンダーソン監督の7年ぶりの新作(『愛おしき隣人』)公開に併せ、2008年4月に恵比寿ガーデンシネマで『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』の邦題で再映された。私はその上映を見逃したのだが、その後DVDが発売になり、35年ぶりに再見することができたという次第。

 で、ここからが本題。再見したときの感想である。
 ひっきりなしにタバコを吸う少年少女たちやファッションはいかにも70年代的ではあるが、それを除けば、映画はけっして古びてはいない。35年前のフィルムは、見事なまでに再生処理されており、映像のみずみずしさは当時も今も変わらない。撮影は『みじかくも美しく燃え』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』と同じヨルゲン・ペルソン。説明と台詞を極端に排除した展開は、まさに「スタイリッシュ」と呼べるものである。だからけっして悪くはなかったのだが、あの感動を再びというのとはちょっと違う、不思議な体験をした。

 私の記憶の中で、この映画は典型的な青少年恋愛ものなのだが、今回再見したら、微妙に違うのだ。もちろん14歳ぐらいの少年少女が主人公であることは間違いなく、彼女たちの幼いなりに真剣な恋愛がメインストーリーであることもまたその通りなのだが、そのラブストーリーを地に浮き出た文様だとすれば、むしろその「地」の部分にこそ不思議な味わいがあって、それが映画のふところを深いものにしているのだ。「地」にあるのは、二人の家族・親戚など周囲の大人たちの、エキセントリックな立ち居振る舞いだ。

 初公開当時は約20分カットされ、今回のが完全版だという。当時もカット部分があることは知られていたが、その多くは少年と少女のセックスシーンだとされていた。しかし、どうやら他の部分も削られていたようだ。たとえば、少女には独身の叔母が一人いて、それが子供のいない独身の身の不安を延々と少女に語るシーンがある。あるいは、田舎の別荘に両家が集まるパーティでは、異常なまでに笑い転げるその叔母が、唐突に、脈絡なく、対面する席の男から殴られたりする。それらのシーンを、私は全く覚えていなかった。少年の側も両親の仲はけっしてよくなく、家族の間には小さな苛立ちがある。ラストのパーティシーンでは、少年の父が沼の中で入水自殺を図り(実際には周囲の勘違いだったのだが)、みんなが霧の中を大慌てで捜索したりする。「ええっ、こんなカット、あったっけ」と、私は呆気にとられた。

 当時削除されていたとすればやむを得ないが、そうでなかったとしても、私の記憶がそうした、映画の「地」を成している「問題のある大人たち」の存在をすっかり消し去っているのだ。そのせいで、35年前と今回では、映画の印象が微妙に違った。たんに、削除されていた部分が復活したからだけでなく、長い間の風水で柔らかい地表が削られ、堅い部分のみが岩山として残るのと似た、私の側の記憶の風化も、印象の違いには影響を与えているはずだ。

 しかし、今回、完全版を観ることで、ロイ・アンダーソン監督の、変わらぬ作風というものを感じることができたのは幸いだった。『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』に登場する奇矯な大人たちは、その後の『散歩する惑星』におびただしく登場するおかしな「隣人」たちによく似ている。『愛おしき隣人』にも、「彼らは」同じように登場している。

 その大人たちの表情には、おかしみに彩られた死の匂いがする。そもそも、『スウェーディッシュ〜』で少年と少女が出会うのは、老人介護施設のようなところだった。人生の終わりに近づいた老人たちの世界。そこに14歳の少年少女たちの、若い性と初々しい好奇心が、対照的に置かれている。人生に鬱屈した大人たちと、その鬱屈を未だ知らぬ少年少女の恋愛。その対比にこそ、この映画の妙がある。死と生が織りなす人生の陰影こそ、アンダーソンが本当に描きたかったものではないだろうか。

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