太平洋の白波が飛沫を上げる断崖に、そそり立つ白亜の建物は、福島第二原発だ。その直下の砂浜に男と女の心中屍体が打ち上げられる。冒頭から流れる松村禎三の不協和音的な旋律は、映画の通底音として観るものに不安を搔きたてずにはいない。

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 『原子力戦争 Lost Love』──映画の中で場所は特定されていないが、福島県いわき市および双葉郡の福島第二原発近辺でロケされている。劇中「平(たいら)の街のネオンが〜」という商店街のアナウンスが混じる。駅舎の風景は平駅(現・いわき駅)だろうか。それとももっと原発に近い富岡あたりだろうか。ちなみに、平はいわき市の中心にある商業地区。第二原発からでも35km離れているが、今も昔も原発後背地としての役目を担っていることはたしかで、この距離感はさして問題ではない。

 原発の危険性を象徴的に描いた映画として、昨年からリバイバル的に話題になっている映画である。映画のワンシーンには第二原発の受付に無許可で入って、警備員に止められる所も挿入されている。このあたりは元々ドキュメンタリストとしてスタートした黒木監督の面目躍如だ。

 Youtubeにも一部が投稿されている。いわき在住ジャーナリスト、「日々の新聞」の安竜昌弘氏もブログで再三採り上げている。

 2012/2/8の記事ではこんな風に紹介されている。

「公開が昭和53年だから35年も前の映画だ。当時は200海里問題による北洋サケマスの減船と炭鉱の終焉という、いわきを取り巻く社会的事象があり、きちんと映画の中にも反映されている。そして70年代のいわきの風景が、ノスタルジーを誘う。黒木和雄監督の映画としては評判が今ひとつだったが、原発事故に見舞われたいまだからこそ、わかるところが多い」

 いわき市江名にある、安竜さんの自宅の近くでもロケが行われたらしい。

 黒木和雄の卓見を感じるのは、劇中に用いられる「チャイナ・アクシデント」という言葉だ。地方支局のさらにその通信所に飛ばされた新聞記者(佐藤慶)が、原子力科学者(岡田英次)を問い詰める。

「原発でチャイナ・アクシデントが起こっているんじゃないですか」

「キミキミ、軽々しくそういうことを言うものではない。そんな事故が発生する確率はキミの頭に隕石が落ちてくるほど、低いのだよ」

 チャイナ・アクシデントとは、もちろんチャイナ・シンドロームのことだ。ただこの映画撮影の当時は、こういう言い方がされていたのだろう。あるいは、「シビア・アクシデント」と「チャイナ・シンドローム」の合成語か。

 映画の公開は1978年2月。スリーマイル島事故は79年3月。1年後を予見し、さらに33年後を予見していたということか。

 私が観たのはCS「日本映画専門チャンネル」の放映、岩井俊二のセレクション「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」の一作だ。このほかにも、鎌仲ひとみの『ヒバクシャ HIBAKUSHA 世界の終わりに』や『六カ所村ラプソディー』なども選ばれている。

『原子力戦争』放映の前後に、岩井の短い紹介テロップが入るが、それがまたなかなか辛辣だ。

「原作を書いたジャーナリストもまた、劇中の新聞記者と同様の運命をたどったのだろうか……」

 という意味のこと。むろん、田原聡一郎のことだ。今でも原発に反対だか、賛成だかわからない。しばらく前までは、こんなことをやって小遣いを稼いでいたお調子者のことである。

 デビュー間もない、風吹ジュンが初々しい。山口小夜子といっても今の人にはピンと来ないが、元祖「猫目女」。芝居は下手だ。しかしながら、原田芳雄はかっこいい。

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