東京も今週あたりから一気に秋めいてきた。秋が来れば、夏の暑さを懐かしく思い、冬が来れば春が待ち遠しい。季節の渦中にいても、いやいればこそ、他の季節を願望する。わがままというものは、つねに不可逆で定速の、時間の流れに抗うものである。
うつせみの翅脈透かしてたどる夏
心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば
東京も今週あたりから一気に秋めいてきた。秋が来れば、夏の暑さを懐かしく思い、冬が来れば春が待ち遠しい。季節の渦中にいても、いやいればこそ、他の季節を願望する。わがままというものは、つねに不可逆で定速の、時間の流れに抗うものである。
うつせみの翅脈透かしてたどる夏
この日記、8月末以来更新してなかった。
というのが書けない/書かない理由だ。
このままだと無言のまま年を越しそうなので、とりあえず更新しておく。
SNSの隆盛は人間の本質である社会性に由来するものだ、などと言いもし、書きもしたが、本音のところではそこに疑いをもっている。
人間の社会性への志向は、より深いところで、人間の孤独と対置されなければ、せいぜい自分という商品を他人に高く売りつけるための“媚び”を洗練させるだけに終わるだろう。
先日、劇作家の鴻上尚史が「最近は自分の孤独をのぞき込む若者が少なくなった」と嘆いていた。少なくとも自分を何らかのパフォーマンスによって表現しようというものは、その孤独を安易にネットで紛らわせてはいけないということだ。
むろん現代人がどのように孤立し、あるいはどのように人々との連帯意識で満たされていようと、そのいかんにかかわらず、mixi やら facebook やら twitter やらは流行るだろう。ただ、SNSがあるから人は連帯できるわけでもないし、それがないから孤独のままであるわけでもない。コミュニケーション技術の発展によって拡大する社会機能と、人間の存在論的な懐疑の意識は、とりあえず別のことなのである。
WP本体を5.0に上げてもダメだな。ネットワーク接続が遅すぎる。
という訳で BlogPress という350円のアプリを導入してみましたよ。コレはいいかも。
ただアプリの日本語表記が笑える。憲法じゃないんだから「発布」はないんじゃないの。
どこに本文を書くのだ。なんとか使えるようになったけど。
こりゃ、いいや。「ルートラボ」は面白いことやってるな。
年が明けちまった。ようやくフジフイルムのネットプリントサービスで注文。画像はシチリアの、a long and winding road だ。