「今はどういう時代かというと、インターネット,しかもソーシャルネットワークの時代だ。ソーシャルネットワーク時代とは個人の時代でもある。今回エジプトで政権が変わった。これも個人が意見を言ったことから始まっていると思う。これと同じことがファッションの世界でもできないか」
「ユニクロ社長を突き動かす「エジプト革命」」
聞いたふうなことを抜かすぜ、この社長。他国の政変まで自社のブランドの宣伝に使ってしまう。ファッション・アパレルの流行仕掛け人はこうあるべきの見本でもあるし、仕掛け人の無邪気さを体現する人でもある。
ところで、ここで柳井社長がこだわる「個人」とは何か。もちろん彼の頭のなかにある「個人」とは、消費マーケットに登場する個人でしかない。私は個人とはもっと複雑な存在だと思うのだが、そういう複雑なことを考えていては世界企業など経営できないのだろう。
それにしてもユニクロという会社は、「個人」をとらえ、そのファッションの個性化を進めることができたのだろうか。かつて、ユニクロのフリースが全盛のころ、電車のなかで親子4人、上下まったく同じガラのユニクロのフリース一家というのを見かけたことがあって、「寝間着で電車に乗るなよな」と思ったことがある。ファッションは貧富の問題でもあるが、同時に経済的余裕とは別のセンスの問題でもある。世界の人々のファッション・センスの向上に、この会社がなんらかの寄与をしたとは、私にはとうてい思えないのだ。画一化には大いに貢献したとは思うけれどもね(同社のヒートテックは私も愛用しております。念のため)。
経営者の戯れ言を、あたかも革命家の言葉のように後生大事に記事にするメディアもまたメディアではある。